C型肝炎から肝硬変への移行?

どれだけ病気と付き合ってきても、どれだけ大人になっても、
病に対する不安や恐怖はあります。
それを弱いと言われれば、そうかもしれません。
今までも、そしてこれからも、
その弱さをバネにしたからこそ得られた強さのために、
今回のことも大人げない自分に恥ずかしくなりますが、
ありのままをお聞き頂ければと思います。
長文になります。

曇り空にかかった虹

 

前回からの続きです。

「どうして・・・?」
沈黙を破ったのは私の一言でした。

そして、ひとことを言葉にすると咳を切ったように次から次へと
不安と疑問が頭を巡ります。

「ずっと数値も正常値内で落ち着いてたのに、どうして?」
私のその言葉を受けてS先生は珍しく静かな口調で、
でもハッキリと仰いました。

「肝炎ウィルスが排除できてないから・・
炎症は抑えられていても
今までの経過や蓄積がクリアーにならなければ病気は進行しますからね」

「じゃあ数値を下げても意味なかったということなんですか?」
言葉を選ぶ余裕がない私の言葉はストレート過ぎたかもしれません。

「それはない!進行は遅らせてこれたでしょ?」

分かっている。
分かってはいても、それでも、そうであるなら・・
肝硬変になることは避けられる、
どこかで信じたかったから。

「それに・・」
S先生は続けた。

「まだ画像の段階での1つの判断でしかないしね。
他に腫瘍マーカーや血小板数値、ヒアルロン酸の数値などから
おおよその予想はできるけど、本当の肝臓の状態は肝生検でしか分かりません。
実際に、画像診断と血小板の値からF4と診断されて慌てて私のとこに来た患者さんで、
肝生検を行ったらF2だったという方もいますしね」

一気に話した先生は更に続ける

「ただチエさんの場合、血小板がもともと少ないから判断材料にならないし、
肝生検なんてしたら肝臓からの出血が止まらなくなって命取りになる危険性があるからね」

S先生の言葉が耳には入ってくるけど、
自分の中で湧き上がる不安の方がより膨らんできて、
その時は殆ど上の空状態でした。

今記載している当時の状況は、
一緒に検査結果を聞くため付き添ってくれた母の記憶と
私の記憶を整理したものです。

「どれくらいですか?」
私の発した一言にS先生は冷静でした。

C型肝炎の治療に関する冊子を取り出すと、
「これは知ってると思いますが、一般的に・・」
一般的にを強調したのが分かりやすいS先生。

「一般的に、これだけの時間をかけて進行するので、
チエさんの場合はその2~3倍ゆっくりなスピードだったわけだから、
それからすると30年とか50年か~」

最後の言葉は濁したのが分かる。
そこを私が気にしたのもS先生にはお見通しだった様子。

いつもハッキリ物事を仰るS先生。
インターフェロン治療で貧血の副作用が酷かった時に、
血液検査を手に病室に入ってくるなり、

「このままじゃ死んじゃうよ!」
と言われた時の衝撃は今でも鮮明に覚えています。

当初はその性格についていけず私の胃はいつもシクシク泣いていました。

この3年で私がS先生に慣れたのもありますが、
S先生も私の性格に合わせて、
だいぶオブラートに包んだ物言いもしてくれるようになってました。

それにしても30年とか50年とかの数字は非現実すぎます。
いくら私だっておおよその見当はつくのです。

「50年と言えば、今までの人生よりも長いですね~]
と、ちょっと皮肉を込めて言ってしまった私。

「そうですね~」
と先生。

「そこまで長生きするのなら病気とかという問題ではないと思いますけど?」

自分でも何を言ってるかな~と思いながら、
一番聞きたくて、でも一番聞きたくないことが頭の中をグルグル巡る。

「まぁ~70歳を過ぎると色々ね~免疫力も落ちるしね・・」
いつもと違い歯切れの悪いS先生に、

「ガンになりやすいという事ですよね?」
と聞くと、

「まぁそうですね」
と先生。

「70歳・・」
無意識に言葉にしながら頭で計算する私。

それもお見通しだったようで、
「あくまで一般論です」
とピシャリ。

「なら一般論でいいですから教えて下さい。
結局私の場合は?」

今こうして冷静に考えれば子供じみた事を言ってると思えますが、
その時の私は恐れていたことが現実となって突き付けられ、
困惑と不安の中、事実を受け止め向き合っていくにも、
どれくらいの危険性と可能性があるのか?
知らなければ、どんどん悪い方にばかり考えてしまいそうで・・

「何が言いたいの?」
とS先生に言われ、

「あとどれくらい時間があるんですか?」
と私が言うと、

ついにS先生がキレました。

「それがあなたの悪いとこです。
チエさんは頭で考えすぎる!だからストレスになるんです!
チエさんには絶対に教えません!

そう私にハッキリ言うと、
次に母に向かって、

「お子さんはこうなんです!
だから僕はちゃんと怒りましたからね」

それまで一切言葉を発しなかった母は・・
S先生と私の言い合いにも慣れっこの感じで話し始める

「そうですね本人はだいぶ動揺してるようです。
先生も十分ご存知の通りですから」
と言い、一息つき続けた。

「そこで今までのお話を伺ったところでは、
今回の検査で肝硬変の疑いが出たという事と、
今すぐどうこうなる事ではないけど、
今後の事を考えて早々に転院時期など
治療方針を考えていくべきだという事ですか?」

と一番冷静に今回の事を受け止め、
私たちのやりとりを判断していました。

「そいうことです」
S先生は、そういう事だよ?
と私を見ながら仰る。

「とりあえず次の検査で腫瘍マーカーやヒアルロン酸など調べて
総合的に診てみましょう。
来月には学会もあるから新薬の情報も更に得られるでしょうし、
多分ですけど発売の時期も検討がつくでしょうしね。
という事で、次は1か月後。これでどうですか?大丈夫かな?」

「はい・・」
何となくまだスッキリしないまま答える私。

「何か生活上で気をつけることはありますか?」
と母が聞く。

「特にないです」
そう言った後、私の本当に?という表情に気づいたのか、

「強いて言えば睡眠よくとることかな?」
と続けて仰る。

「でわ、今まで通りで良いという事ですよね?」
という母の言葉に、

「その通りです」
と笑顔のS先生。

2人のやり取りは、私に言い聞かせてる感が一杯でした。

そして1か月後に私は決断することになります。
その時のお話は、また後ほど・・・。

今こうして当時を振り返り文字にしてみると、
自分の不甲斐なさに恥ずかしくなります。

でも・・・
いい年齢の大人だって、
病気に対して常に大人である必要はなく、
たまには子供のようであってはダメですか?

強さは弱さを経験したから得られるものだとも思いたいです。
今までのように今回のことも乗り越え頑張りたいから・・・。

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最後まで読んでいただき
応援していただき ありがとうございます。

2件のコメント

  • punnsann

    チエさん、他の検査も受けてみて下さい!フィブロスキャンや(肝腫瘍の発見にですが)ソナゾイド造影剤の造影超音波も。私もそれで、肝硬変ぶっ飛ばして、(今のところ)肝腫瘍2.5センチあるの見つかったんですから。(笑うところです(^-^))

    誰も肝硬変という診断を素直に受け入れられる人はいないと思います。今まで、そうならないように食べ物も薬もサプリも全てを考えて生活してきたからです。
    病気になると、つい今までの行動を振り返ってしまいます。「あの時のあれが良くなかったのかも~あれが原因?~」すでに48年も生きてきたので、その振り返り項目は限りなく………今までの生き方を否定してしまうような、後悔してしまうような、そんな自分の弱さを痛感することが「病気」というものなのかな。と最近気づいたところなんです。
    それを全て受け入れて跳ね返して、良い意味前進するところまで、今もまだ全くできないでいます。
    それを励ましてくれたのがチエさんなのです。

    5月末くらいからのサイトの端々で少しずつみせられていたチエさんの苦悩を全く気付かずに~私が書いていたノー天気なコメントが、チエさんを大きく傷つけるものであったのではないかーと思うと……もしそうであったなら許して下さい。

    昨日、再生不良性貧血の難病申請手続きに行ってきました。

    大人げない大人がいても良いですよ。
    また失礼になるかもしれませんが~
    大きな声で泣きませんか?一緒に泣いて、いつかは一緒に笑いませんか?

    • チエ

      punnsannさん、いつも温かいコメントありがとうございます。初めてコメント頂いた時、気持ちの整理がつかず不安で一杯だった私に、励ましとパワーを下さったのはpunnsannさんでした。そのおかげで、少しずつ前を向くことができました。何度も読み返し、力をいただいています。同い年であったことを知り勝手ながらより身近に感じ、こうしてご縁あってお話が出来ることに感謝しています。punnsannさんの言葉に涙が止まらず、そして温かい涙が心を軽くしてくれます。いつか一緒に笑いましょう(^-^)本当にありがとうございます。

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