C型肝炎から肝硬変の診断|あの日から

この2か月、色々な事を考えました。
2か月前の5月下旬、腹部CTによる検査結果が
告げられたあの日から色々な事を思い、考えさせられました。

マカプウ岬


ブログの更新もほとんど手につかない日々の中、
途中になってしまってるインターフェロン治療時のことを
まとめ綴りながら、気持ちと現状の整理をしていました。
(闘病日記36~41章を更新しました)

ようやく少し状況と心の整理が出来つつありますので、
ゆっくりとなりますが、その時のこと、そしてこれからの事を
お話していきたいと思います。

3年前、重篤な貧血の副作用によりインターフェロン治療は中断。
それ以降はウルソ薬により肝臓の炎症を抑えていました。

3剤療法の新薬の発売も相次ぎましたが、
インターフェロンが使用できない私にとっては
インターフェロンフリーの新薬に望みをかける日々でした。

消化器内科主治医S医師と、時には口論になりながら、
怒り泣き、そして笑いながら、その日に向かい頑張ってきました。

そして今年に入りS先生より
いよいよインターフェロンフリー薬の年内発売が手堅いと聞き、
それに向けて転院の準備も徐々にしていました。

というのも、私には再生不良性貧血という持病もあるため
治療上、様々な制約や予期せぬ副作用の可能性が考えられます。

なので、新たに治療を始めるにあたっては、
血液内科との連携は必須でもあります。

再生不良性貧血が再発して20年近く、血液内科のK医師にお世話になっています。
もともとK先生からの院内紹介でS先生と出会いました。

しかし昨年、K先生が転院したため、別々の病院に通院する状況でした。
K先生のいる病院には肝臓内科があり、肝臓治療の名医及び施設が充実しています。

K先生の転院の時点で肝臓に関してもそちらの病院で診て頂くことも考えましたが、
もし闘病日記を見て下さってる方がいらしたら、
お分かりだと思いますが、私は人一倍ビビリなのです。

どんなに痛くても、辛くても、やるべきことがあれば、
それに向かって頑張ることは苦になりません。

でも・・・何が起きているのか?どうなってしまうのか?どうするべきなのか?
この不安には押しつぶされそうになるのです。

S先生とは最悪の出会いで始まりましたが、
今では本音で話せる関係を築けました。

なので、インターフェロンフリーの新薬が発売されるまでの間は、
肝臓のケアーはもちろん必要ですが、私には精神的なサポートが重要でした。

そこで、肝臓は引き続きS先生に診ていただいてました。
そして、インターフェロンフリー薬の治療開始時期に合わせて、
転院を考えていました。

(私の場合は現時点で肝臓の治療自体、病院によって出来ることは一緒です。
ただし病院により新薬の取り扱いの時期などに違いが生じます)

転院を予定している病院には何人かの肝臓専門医がいます。
S先生は自身の後輩で交流があり、信頼している先生に私のことを託すべく、
学会などでお会いする度に私の話をして下さり、
新薬に関しての情報収集にも力を入れて下さってました。

そして5月下旬、年一度実施していた腹部CT検査。
検査を終え、診察室に入った私の目に映ったのは
パソコンの画像を険しく見つめるS先生。

「書かれちゃいましたね・・」
S先生の言葉に、私はパソコンを覗き込みました。

そこにあったのは、画像と診断名、検査技師からのコメント。

いつもはC型肝炎経過観察となっていた所に記載されていたのは、
画像診断名:C型肝炎~肝硬変。

恐れていた1つである病名を目の前にして、
一瞬にして頭が真っ白になり、言葉が出てきませんでした。

この3年間ずっと肝機能数値は正常値内だったのに・・・

しばらくの間、診察室には沈黙の時間が流れていました。

(つづく・・)

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