19章|C型肝炎治療と余震

地震から一夜明けて 2011年3月12日(土)

夜の間も余震は続き
ほとんど眠れず朝を迎える。

夜中に届いた友人からのメールで
愛犬の無事を知ることができた。

カーテンを開け窓から見る外の風景はいつもと変わらない。
見る限り病院のある地域で大きな被害はないようだ。

どうしようか迷ったが、いつものようにウォーキングに向かう。
普段は静まり返っている朝の外来。
でも今朝はソファーのところどころに毛布にくるまった人がいる。
昨日の地震で帰宅できなかった外来患者さんや入院患者さんの家族。

院内をグルグルしてみる。
自動販売機コーナー。
いつもと何か違う。何が?
自販機5台。地震の衝撃で動き、
いつもある場所から1mほど横にずれている。

公衆電話には人が並んでいる。
病棟ロビーのテレビでは津波の様子が映し出され、
見ている患者さんからは悲鳴に似たため息がもれる。

それでもまだ、何が起きたのか、何が起きているのか、
何が起ころうとしているのかピンとこない。

夕方ちかく彼と母がきてくれた。
彼の話では朝方から駅構内は沢山の人で溢れていたそうだ。
どうにか電車を乗り継ぎ30分の道のりを4時間かけての帰宅。

母の話では我が家の被害は、
母の部屋のぬいぐるみが棚から滑り落ちたくらいですんだらしい。

病棟の、病室のあちらこちらで、
家族の安否を確認でき安堵している光景があった。

福島で大変なことが起きた事を後に知ることになる。

C型肝炎闘病と今回の震災は、
人は必ず死ぬ、だからそのために生きる・・・
「必死に生きる」ということを教えてくれることになる。

 

病棟倒壊? 3月13日(日)

相変わらず余震が続いている。
テレビでは福島第一原発の報道。
水素爆発?メルトダウン?

聞きなれない言葉ばかりでよく分からない。
でも、ただならぬ事が起きてる気配だけは感じる。

午後には彼が来てくれた。
気分転換に病院内を二人でブラブラ。

正面入口の自動扉がガムテープで補強されてたり、
一部天井が落ちてるのを発見!
作業着を着た役所の人が結構な人数で建物内をチェックしている。

内装リフォームで見た目にそんなに分からないが、
入院病棟は古くかなり年季もの。
建て替えは必須だと噂されていた。

こうして、ところどころボロボロになってるとこを見ると、
地震直後・・・
「倒れなくて良かったね~」
と言ってた看護師さんたちの言葉の重みが分かった。

「また凄い余震きたら・・・今度はヤバイかも」

 

病院閉鎖 3月14日(月)

朝の回診でS先生が私を見て開口一番
「やっぱり下がりましたね。血小板が2万以下まで下ると治療は中止。
これはお約束ですから」そう言い私を見てニヤリ。
わかってるけど、どうしよう。

「今度の採血で結果が良ければ二回目のインターフェロンできますか?」
と聞いてみる。

「血小板が2万まで戻ればね」とS先生。続けざま
「それでも効果は分からないですよ。隔週で治療したなんて話はないですしね」

先生に聞きたいこと、聞くべきことがあるのに、言葉に出来ない。

昨夜、東京電力から計画停電開始が発表された。
余震が続く中、安全対策ということもあり外来は休診となった。
症状が落ち着いている入院患者さんは一時帰宅となる。

「私も~」と言ってみたが、
すぐ却下された。かなしい。

こうなれば違う作戦にでる。
「地震のときから眠れないの。
お腹がはるの。地震のストレスかな?
ちょっと家に帰れば…」と訴える。

「分かりました、眠剤とビオフェルミん出しますよ」と先生。

 

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