15章|C型肝炎治療の幕開け

C型肝炎治療|入院前検査 2011.2.28

昨年夏、C型肝炎の治療を決意してから半年が過ぎていた。

この半年・・・
できるだけ多くの友達に会った。
ハワイに帰りパワーを充電してきた。
1年の治療を無事終え元気になった姿で、
再会する日、再訪する日を励みにするために。

今日は治療を始めるための検査日。
名前を呼ばれ診察室に入る。

「はい、こんにちは」S先生の人懐こい笑顔がそこにある。
「こんにちは」と私が言い終わらないうちに、
「血小板の数値2.8万。止血時間が10分。悪いね~」
と検査データーを見ながら一気に言う顔に笑顔はない。

「すみません」としか言えない。
「別に謝らなくていいですよ。
でもインターフェロン治療したいのでしょ?」
とS先生に言われ、
やはり私は、「すみません」としか言葉が出てこない。

今まで色々なタイプのドクターに診てもらった。
最初から気が合うドクターばかりではなかった。
なのでドクターとの付き合い方に多少は慣れてるはずの私なのに、
S先生を前にすると思うことが言えなくなる。
そんな私の態度はS先生を余計に苛立たせたと思う。

「いいですか?今のあなたは再生不良性貧血で治療適応範囲ではない。
でもあなたの強い希望でやりたいと言うから、治療についても十分説明しました」
S先生はここまで一気に話すと一呼吸おき続けた

「インターフェロンの副作用で血小板が減少したらどこまで下がるか分からないし、
レベトールの内服で溶血性貧血の副作用が出たら、
ただでさえ貧血なのにどうなるか分からないんですよ?
そんな危険があっても、やりたいのでしょ?」

「やってみたいです」
その言葉をすぐ言ってもいいのか
私を迷わせる空気をS先生が全身から出している。

たしかにS先生が慎重になるのも分かる。
ただでさえ前回の検査で血小板が4.7万の時点でも治療適応範囲を下回っていたのに。
苦渋の決断をしたS先生にとって
それが半分近くの2.8万になっていたのだから慌てたのだろう。

私の中では4.7万という数値は人生で3本の指に入るくらいの好成績。
普段は3万前後を行ったり来たりだったので2.8万と言われても動揺はなかった。
その2人の温度差も2人の会話がかみ合わない原因だった。

「あれから何してたんですか?止血時間だって前回は5分だったのに・・・
なんでよりにもよって今日の数値が悪いんだ?!」
そうS先生に言われて
「ハワイに帰ってました」とも言えずにいた。

数秒の沈黙が長く長く感じる。
「どんな結果になるか分からないけど治療したいんです・・・
やらないで後悔したくないです」
沈黙を破り私が言うと
「私も医師としての責任があります」とS先生。

またまた沈黙が流れる。
両者にらみ合い「はっけよ~いのこった」みたいな雰囲気が流れる。

「先生にご迷惑はかけません。私の自己責任でお願いします」
私から技をかけたつもりが
「治療したら私の責任でもある」
すかさずS先生にかわされる。

本日、最悪の沈黙が流れる。
情に訴えても勝負に出ても通じない。
どうすればいいか・・・。
「先生に色々教えて頂き治療の事よく理解しました。
危険が伴なう事も覚悟します。
治療をするには先生の協力が必要なんです」
とにかく沈黙をどうにかしたい一心での言葉は正攻法だったみたい。

「分かりました。
治療について説明しましたし危険性についても十分お話しました。
その上であなたが強く希望される。
貧血の方はKが責任もって診ると言ってることだし」
そこまでS先生は言うと、

私を真っ直ぐ見て
「でも治療の継続の是非については週2回の血液検査をみながら決めますから」
と言い切った。

後で知った事だが・・・
今日の検査結果に関係なく、
どうにか治療を開始できないかとS先生は沢山の事を調べていてくれた。
それでも最初からその話をしなかったのは、
もしかしたら私の決意を試したのかもしれない。

あくまでそれは後で分かったこと。
その時の私は、「意地悪な先生だ」と思っていた。

「お願いします」と退室する私。
S先生がかけた言葉は
「死ぬ覚悟でなく生きる覚悟で頑張って!」だった。

でもS先生との会話に過敏になってた私には
「死ぬ」その言葉だけが強烈に残る。
家に帰った私は・・・人生はじめての『遺言』を書いた。

この日の事は3月3日から始まる闘病・・・
というよりS先生との闘いの幕開けだった。

 

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