11章|再生不良性貧血からの旅立ち
Dr.H ~Dear H先生 ~
ようやく血小板の数値も3万台に戻ってきた
2月も半分を過ぎたころ。
夕方の回診の時にH先生が
「実はさ、3月から新潟の病院に移るんだ」と、
血液検査の結果から目を離さず唐突に話し始めた。
急なことだったので
「え?」としか答えられないでいると
「ちゃんと人の話を聞きなさい」
という言葉が返ってきて笑ってしまった。
新潟はH先生の故郷だそうで、
先生の地元では医者が不足しているらしい。
いつか帰って地元で働きたいと
以前チラッと聞いたことがあった。
H先生とは、ここに書ききれていない色々な事が日々あった。
例えば、治療がパルス療法に決まり予定が組まれると
幼少の頃にステロイドでまん丸の顔になった私は、
それがトラウマになっていたので、
今回のパルス療法のムーンフェイスの副作用をかなり心配していた。
治療の日程が近づくと、
どんどん不安になり、
その都度H先生に治療について説明を受けた。
H先生が回診に来る度に
私は、「大丈夫か?」と聞き
先生は、「短期間で行なうから副作用は出にくい」と何度も説明する。
その場では納得するのだが、
また次の日にも同じ事を聞くので
「いいかげんにしろ」と怒られてしまった。
もうH先生には聞けない・・・
K先生も忙しいから病棟にはなかなか来てくれないし。
「そうだ!」と思った私は、
看護婦さんに頼んで薬剤師さんに来てもらい話を聞いてもらっていた。
薬剤師さんから
「あれ?H先生から説明はありましたよね?」と聞かれ、
「はい、でも詳しく聞きたくて」と何度か話を聞いてもらってた。
ある日、普段はいない時間なのに
H先生の姿が廊下にありギョッとした。
「見つかりませんように・・・」と息をひそめていると
何も知らない薬剤師さんが
「H先生~」と立ち上がって挨拶しはじめた。
「あ、ども」と言いながらH先生がベッドに近づいてくる。
「どうしました?」とH先生。
薬剤師さんは、「パルス療法で不安があるとのことなので」
とハキハキ答えている。
H先生は、「そうですか、よろしくお願いします」とだけ言い
一度も私を見ずに病室を出て行った。
その日夕方の回診H先生は現れない。
病室を出て行った時に見たH先生の険しい表情がよみがえり、
「どうしよう怒らせちゃったかな~」と少し不安になった。
「こんばんは」聞きなれない声で振り向くと
若い女性が立っている。
「こんばんは」と私が応えると、
その女性はベッドに近づいてきた。
「はじめまして院内カウンセラーのNです。
H先生からお話があり伺いました」
女性は自己紹介し私に微笑む。
「カウンセラー?H先生、私が不安でおかしくなってると思ったんだ」
と咄嗟に思った。
「病気の事で何を悩んでるのか?とか聞かれるんだな」と考えていると
Nさんが、「スノボしますか?」と突然聞いてきた。
意表をつかれて、「いいえ」としか答えられずにいると、
「私この冬にスノボデビューしたんですよ」とそのときの事を話し始めた。
同世代のNさんとは話が合った。
ファッションやスイーツ話などで盛り上がり、
恋愛の話になった時、私は彼のことを話した。
付き合い始めて11ヶ月が経とうとしていた昨年の11月。
腹痛をきっかけに3つの病気が発覚した。
特に子宮内膜症は妊娠・出産に大きく関わる病気。
結婚を真剣に考えていた彼とのことは凄く悩んだ。
「一緒に人生を歩みたい」という気持ちと
「彼の人生に大きな負担をかけていいのだろうか?」
という気持ち。
悩んだ末出した決断を手紙に書いた。
手紙は彼に届いただろう。
でも彼からの連絡はなかった。
病室から見える桜の木。
厳しい冬の寒さの中、行き交う人々の目にとまる事もなく、
ジッと地味に立っている。
でも春になり温かい日差しが降り注ぐと蕾が膨らみ花開き、
誰かの笑顔と共に、誰かの心を癒す。
そんな気持ちで桜の木を見ていた日々が思い出された。
自分の心を支えてくれた冬の桜の木のことを。
私の話しを聞いていたNさんが、「彼も決断したんだね」と言った。
私は頷いた。
そのときの事を思い返すと今でも胸が熱くなる。
あの日、いつもと同じように病室から桜の木を眺めていた。
名前を呼ばれ振り向くと、彼がいた。
「どうして?」私の言葉に彼は、
「病気と知っても気持ちは変わらなかった。
でも手紙もらって、どんな思いで書いたのか分ったから、
もう一度きちんと自分の気持ちに向き合う必要があると思ったんだ。
どれだけ厳しい状況考えても、気持ち変わらないし、変えられない」と言った。
「私でいいの?」と聞くと、
「でじゃなく、チエがいい」と言ってくれた。
「彼にとってもチエさんにとっても、お互いが春の日差しなんだね」と、
ベッド脇に飾ってある満開の桜の下で笑顔いっぱいの私の写真を見て、Nさんは言った。
去年の春、彼が撮ってくれた写真。
「治療頑張ろう!退院して、今年も桜を見に行こう」と彼が持ってきてくれた写真。
今年も満開の桜を一緒に見るために厳しい冬の寒さに耐える。
Nさんと話して大事なことを思いだした。
治療での副作用が恐かった。
女性としての自信をも無くすのが恐かったから。
でも、そんなことH先生に言えるわけなかった。
「H先生、なんでNさんに私のこと頼んだのかな?
治療について神経質になってるから、おかしくなったと思ってる?」と私が聞いた。
Nさんは笑いながら
「ん~ハッキリは分らないけど。治療のことで不安があるみたいだって」
そう言い、そのときのH先生との会話を思い出しながら話してくれた。
「自分は医師として出来る限りの説明はしているのだけど
どうも不安を消してやれない。
顔が丸くなったって薬を止めれば、いつか元に戻るし
病気が良くなれば好きな事させてやれるのに・・・」
「でも女性にとって大事なものは他にもあるらしい。
あのまま治療をするよりも、本人に前向きに治療させたいから
話し聞いてやってくれって頼まれたの」とNさんは微笑んだ。
それから私は副作用のことで不安に思うのはやめようと思った。
まずは元気になることだけ考えよう。
前述したように、ステロイドパルス療法での効果はなく
体に合わないこともあり中断。
ムーンフェイスの副作用も酷く、あんぱんマンのようだった。
でも私は治療して良かったと思う。
それがその後続く、私の病活(闘病・病気生活)の原点になったから。
H先生とは、カウンセラーの件はお互い口にしなかった。
口にはしなかったけど、何となくお互い分ってた気がする。
故郷に帰る話を聞きながら、
その時のことを思い出していた。
なので何かH先生が言った気がしたが聞こえなかった。
「ちゃんと聞いてるか?」と先生に言われ
「聞いてなかった」と正直に答えた。
「もう、いい」と立ち去りそうになる先生に
「ちゃんと聞くから。もう1回!」と言う。
意外にもアッサリと
「そうか。じゃあ最後に1回だけ。ちゃんと聞けよ」と言いながら
姿勢を正し、「一緒に来るか?」と言った。
「嫁に?」と私が言うと
「バカ!お前には彼がいるだろ」と本気でバカと言われた。
「俺が行く病院にだ。まぁ遠いしな、非現実的だけどな」と先生は言った。
治療が上手く行かず、今後の方針も立てられず・・・。
貧血だけでなく、3つの病気と向き合っていかなくてはならない私を、
医師として放って置けなくなったのだろうか。
さらに私の性格は、お見通しのようなので。
無骨だけど温かいH先生の気持ちが嬉しかった。
込み上げてくる熱いものをこらえながら、
「お嫁さんでないなら行かない~」とおどけて私が言う。
「いらん!」と先生は言いながら私を見た。
「この病院にはK先生がいてくれるから大丈夫だな。
大丈夫だ」と、まるで自分に言い聞かせてるようだった。
「でも、もし・・・もしも」と私が言いかける。
「乗り切れる!」そう言うと
先生は立ち上がり病室を出て行った。
「もしも乗り切れなかったら
その時は先生のとこに行っていい?」と私が言葉にする前に。
今年の桜は、H先生と私・・・
それぞれの出発を見守ってくれるだろう。
退院 そして新たな病活(闘病・病気生活)のはじまり 1996年2月末
次から次へと病気が発覚し、
それまでの私の生活は一変した。
当初、「病気が分かる前の自分に戻れたら・・・」
眠れない夜、病室のベッドで何度も思った。
でも3ヶ月に及んだ入院生活が少しずつ私を変えてくれた気がする。
もちろん病気になって失うものは多いだろう。
この先そのことを、もっと痛感することになると思う。
でもきっと、得られるものもあるはずだ。
病気が分かって心配をかけた人が沢山いる。
家族、親戚、友人。
そして・・・愛しい人。
私を取り巻いてくれる沢山の愛が
私の生きたいと思う源となっている。
今回、病気の発覚によって様々な医師との出会いがあった。
国立病院の内科部長、R先生。
私立病院の血液内科のK先生、産婦人科のM先生。
そして病棟担当主治医のH先生。
この華麗なる医師たちとの出会いは
私の生きる覚悟の源となっている。
明日、退院します。
どんな時も上を向いて歩んでいきます!