序章|生後2ヶ月での告知

「誕生」

早朝6時、
大きな産声が部屋に響き渡る。

助産婦さんから、
「おめでとう!女の子ですよ」
と手渡された私を胸に母は、
「はじめまして、やっと会えたね。」と微笑んだ。

腕の中の我が子に幸多かれと願いながら。

 

「生後2ヶ月検診」 12月25日

ミルクをいっぱい飲んで、よく寝る健康児。
私が病院に行くのは誕生後この時が初めて。

問診時に、「発熱などもなく元気です。たまにミルクを吐くことがありますが」
母が先生に話す。

担当医師は、「あまり深く考えなくて良いと思いますよ。
これくらいの時はよくありますから」
そう言いながら、聴診器を胸にあて、
「ん?」と一瞬眉をひそめる。
そしてもう一度慎重に聴診器を胸に当てなおす。

あがってきた血液データーの数値を見ながら
医師はデーターと私を見比べ、
母に向き合い直し言った。

「すぐ紹介状を書きますので大きな病院を受診してください」
顔は困惑を隠せないでいる。
「病気なんですか?」母の問いに、
「詳しく検査する必要があります」とだけしか
医師は答えてくれなかった。

すぐに紹介先の国立病院を受診。
検査を終え待合室で待ってる時間が途方も無く長く感じたことだろう。

名前を呼ばれて診察室に入ると穏やかな表情の男性医師がいて、
検査の結果について話し始めた。

「お子さんは心臓の病気の疑いがあります。
入院して詳しい検査をしましょうね。」
男性医師M先生があまりにも穏やかに話す様子から、
母はすぐには状況を飲み込めない。

が、ふいに急激な不安が襲い、
「先生この子治りますよね?」と咄嗟に言葉が出る。

M先生は母を見つめ、
「一緒に頑張りましょうね」とだけ言った。

母は翌日の入院予約をし、
準備のため家路を急ぎながら、
頭は、「心臓の病気」という先生の言葉で一杯となり、
胸は不安で一杯となった。

その時ベビーカーの私が何かに反応しはしゃぐ声で、
ふと我に帰る。

娘の笑顔の先には大きなクリスマスツリーがあり、
街は楽しい音楽と笑顔の人で溢れていた。

私が初めて迎えたクリスマス。
私の家族にとって忘れられない悲しいクリスマス。

 

検査~骨髄穿刺(マルク)~

入院してから毎日のように、胸には心電図の機械。
小さな手足には針が刺された。

「もう手ではとれないね~ごめんね」と言いながら、
看護婦さんは足首内側の血管をさがし始める。

採血では痛い思いをしているので防衛本能が働くらしく、
私は思いっきり手足をバタバタして暴れる。

そして2~3人の看護婦さんに取り押さえられる中、
「ぎゃ~ぎゃ~」声がかれるくらいに泣き叫ぶ。

検査が終わり泣き疲れ寝ている私の
紫色に腫れあがった手足をさすりながら、
母は胸を痛めていたと思う。

1ヶ月経ち、2ヶ月が経っても、
病名がハッキリしない。

ある日M先生が、
「骨髄の状態を詳しく調べるために骨髄穿刺という検査をしまましょう」と言い
「胸に注射針を刺して胸の骨から骨髄液を採取し
骨髄に異常がないかどうか調べる検査です。
全身麻酔でなく部分麻酔で行ないます」と説明しはじめた。

「骨髄の検査?この子は心臓病の疑いがあるんですよね?
なんで骨髄なのですか?」
先生の説明を疑問に思った母が聞いた。

「この子には心臓病の疑いがある」という
最初の先生の言葉が脳裏から離れず、
調べられる限りで心臓の病気について調べていた母にとって、
骨髄穿刺の検査は思いもよらない事だった。

「今までの検査で心臓の病気ではない可能性が高いです。
では何が原因で何の病気か、該当しそうな病気を疑い調べましたがハッキリしません。」
M先生は穏やかに説明し、

「そこで考えられるのは、今はまだ血液数値に反映している部分はごく僅かですが、
血液の病気の疑いがあるため精密検査したいと思います。」
母の顔を真っ直ぐ見て、
「病気をハッキリさせて治したいんです」とM先生は力強く言った。

2日後、骨髄穿刺(マルク)の検査が行なわれた。

  
「告知」 

骨髄穿刺(マルク)の検査から2週間が経ったある日。
「検査結果が出たので先生からお話があります」と看護婦さんが呼びに来る。

診察室に入ると堅い表情で資料に目を通してるM先生の姿。
両親に気づくと、いつもの笑顔になり座るよう促した。

「先日の検査結果が出ました」先生は手元の資料を手に、
「お子さんは再生不良性貧血という難病です。
残念ながら現時点では原因や治療方法が解明されていません」

そこまで言うと一拍おき、そして続けた。

「一才の誕生日を迎えられるのは厳しい状況です」

私の一つ目の病気「再生不良性貧血」の告知の瞬間。

この日が私と家族の病活(闘病・病気生活)の始まりとなった。

 

「入退院」 幼少期(0~6歳)

数ヶ月に及ぶ検査入院で、原因・治療方法不明の難病。
再生不良性貧血と診断。

退院は病気が治ったのではなく、
治療できることがないから。

退院後、徐々に症状が出始めミルクと共に大量の吐血や下血。
吐血、下血の症状が出ると即入院し緊急処置としての輸血。

薬の効果を調べるのにまたまた入院。
私の0才から5才までの生活は入退院の繰り返しの日々だった。

幼なじみは近所の子ではなく同じ小児科の子供たち。

遊び場は近くの公園ではなく病室。

鬼ごっこやかくれんぼではなく本を読む事が多かった遊び。

優しい笑顔の記憶は幼稚園の先生ではなく看護婦さん。

昨日まで一緒だった友達の笑顔が急に消えてしまう日常。

当たり前ではない事が当たり前だった私の幼少期。

 

→「1章 両親の決断」